学校概要
◆学校概要
本校区は岩出市南部に位置し、紀の川北岸地域と南岸地域の一部にまたがっている。また、古くから旧那賀郡域の行政の中心地として栄えるとともに、商業の町としても栄え、高塚地区・清水地区・宮地区など大和街道の家並みが往時の面影を今に伝えている。
大和(現在の奈良県)に近いことから古くから栄え、古代の国分寺、中世の根来寺、近世の紀伊藩主別荘地とともに歴史を歩んできた。近代には、校区村域をもって岩出村が発足(明治22年)、その後岩出町となる(明治41年)。戦後、岩出町、山崎村、根来村、上岩出村及び小倉村の一部(船戸、山崎)が合併して、人口13,261人の新制岩出町となった(昭和31年)。
平成に入って道路網の整備や関西国際空港開港に伴い、宅地開発やロードサイド型店舗、大型商業施設の進出など都市化が進んだ(平成18年単独市制施行)。和歌山市と大阪府のベッドタウンとしての機能から、国内人口が減少に転じた平成23年以降も人口は増加し、県外からだけでなく、近年は外国からの転入もみられ、令和7年4月末現在の人口は約53,733人となっている。
父母、祖父母も本校の卒業生である家庭が多く、保護者や住民の教育への期待と関心は高い地域である。学校行事等への参加も積極的でかつ協力的である。古くからの地域で学校と住民との繋がりが大切にされており、教育活動にも好影響を及ぼしている。
他方、本校においても、共働き家庭の増加だけでなく、時代と共に家族の在り方も大きく変わってきている。さらに社会の様々な価値観も多様化し、子供の成長をめぐる課題を複雑化している。
また、ベッドタウンとして市外への通勤・通学する傾向が強いことから、地域への愛着や連帯意識の点で地域コミュニティとしての課題がある。学校が子供の成長のため地域社会に貢献し共に歩んでいくための役割は大きい。
本校の創立は、明治18年11月1日であり、本校沿革史にこのように記されている。「元来本校は旧岩出小学校及び溝川小学校の二校を合併するもので、その学区は旧岩出小学校では岩出村大字清水、宮、西野、大町、高塚、備前、高瀬、及小倉村大字上三毛、山崎、旧溝川小学校では岩出村大字岡田及び大字溝川であり、当時の戸長居谷平助氏は学事熱心の余り持家を修繕し校舎にあてた」(現代語に一部改)、明治34年1月24日に、清水182番地から現在地(清水字御殿30番地)に校舎を新築移転し、現在に至っている。
本校から望む紀の川と龍門山