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伝説

住持池

室家の娘の伝説(住持池の秘められた物語)

室家の娘の伝説 根来山のふもと、西坂本に室家というお金もちがありました。子どものいない家だったので小野小町のお墓に参り願をかけたところ、そのかいあって小町そっくりの美しい桂姫をさずかることができました。月日は過ぎ、成長した桂姫にも嫁ぐ日がやってきて、ごうせいな嫁入行列が住持池にさしかかった時、池から突然大蛇があらわれ姫をさらって再び水中に没した。娘を失った母は悲しみ毎日毎日泣いてくらすばかりでした、四日目の朝母は、池のそばに立ち、せめてもう一度でよいから娘の顔をみせてほしいと涙ながらに祈りました。すると水面には大蛇と桂姫の半身があらわれたのです。母は娘に抱きつこうとしましたが、その瞬間、そこには仲よく二匹の大蛇のおよぐ姿がありました。桂姫は小野小町、大蛇は小町に思いをよせてかなわなかった深草小将の生まれ変わりといわれています。

住持池にまつわる農民の美談

昔その昔、田植がせまり、住持池の栓抜き中、一夜の間に大栓つまってしまい池の水は噴き出てこなかった。田植どきの事なので農民らはやっきとなって大騒ぎとなった。農民らは集まって貯水池の堤からいろいろ検査した結果、何かが大栓口に詰まっていることを確かめた。それでこの障害物を取除かねば、絶対に池水が出ないから、誰がこの作業に当たるかと、真剣に話し合ったが、危険な作業であるので、誰も顔見合わせて申し出るものがなかった。その時、曾屋村白才雲塚地方のある農民が自分が進んで、この仕事に当たろうと申し出た。いよいよ、その農民、池に潜ることになり、縄を引けば障害物を縛った合図だから、すぐ引き上げてほしい、との話し合いで、縄一筋をもって満々とたたえる池水の中に飛び込んだ。池の堤で多数の者がどうなることかと見ていた。しばらくしてその合図の縄を水中から引いたので、堤の者等が急いで引き上げると、水中から大きな又角が二本現れて来たので、そら!大蛇が出てきたと、縄取りの者どもは縄を放り捨て逃げた。(この大蛇と見たのは大鹿であったことは、後でわかった)。ところが引き上げ縄を放り捨てられたため、あの潜水の農民、大栓に吸い込まれ、鹿もろともに大水圧のため身は切り砕けて吸い込まれ、噴流とともに栓尻へ飛び出された。その農民の犠牲的な大きな働きによって、広い灌漑反別が、無事田植が出来て喜んだ。同池では、その農民の耕作田雲塚八反は永久水役(水利費)免除となり、同地方への通水のときは、村人も協力して邪魔するものがなくなった。 

鯉の淵

鯉の森の伝説

鯉の森は船戸から貴志、安楽川、野上方面に通ずる道路の側にある。昔、紀州の殿様は山崎の鯉の淵に年古びた大鯉が棲んでいるので、人々は誰も恐れて綱を下したり釣り糸を垂れたりするものがないということを聞かれ、物に恐れない殿様であるから、諸人の恐れるその鯉を生け捕ろうといった。村人は鯉の主を生け捕ったならば、異変が起こることを恐れて中止するよう申し立てたが殿様はいったん言い出したことは決してやめる性質ではなかった。準備は進行して綱を下す前日になった。ちょうどこの日は春の休日で村人達は草餅をつき、きれいな着物をまとって遊び浮かれていた。そのときどこから来たのであろうか、一人の美しい娘が淋しそうに、やってきて「明日、淵に綱を垂れることを何卒暫く猶予して下さるよう尽力願います」と言った。それは到底聞き入れられそうもないことを告げたところ、その娘は大層しほれたので、可哀そうになり、草餅を食べさせて帰らせた。その娘は淋しそうに鯉ヶ淵の方へ降りていった。人々はその姿を見送って哀れに思った。生け捕りの当日、殿様始め人々の見守る中に屈強な者どもはついに大鯉を生け捕った。さて、いよいよ大刀を揮って、まずその腹部を切ったところ、不思議にも昨日、あの娘に食べさせた草餅がそのまま腹部から出てきたのであった。人々はあぜんとして顔を見合わせて、しばらくは言葉もでなかったが、さては昨日の娘がこの鯉の主であったかと。村人は仔細を殿様に申し上げると、殿様もさすがに感動して料理を止めて、そのまま塚を造って埋め立て祀らせたということである。今は鯉の森は払下となり、木は伐り去られ、土は切り下げられて、畑となっている。鯉の淵は中洲が生じたため、紀の川とは離れたが、今もなお貴志川の淵をなしている。

最終更新日:2016228
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