市のプロフィール
沿革
古来、岩出市を含む紀伊国(熊野地方)は、出雲民族が移住し早くから開け、日本最古の国を形成していたことが、「日本書紀」にも記載されています。大和に近いという地勢から長期にわたり中央政権とも密接な繋がりがあり、本市と紀の川市にまたがる国分荘には、国分寺が建立され、古くから栄えてきました。
中世以降は、新義真言宗総本山「根来寺」が高野山、粉河寺、太田党、雑賀党とともに勢力を張り、豊臣秀吉に滅ぼされるまで、戦国時代の一時期を象徴する存在であり、戦国時代の根来寺の勢力は、大阪府下の岸和田付近までおよんだと言われています。
江戸時代は、紀州藩領となり、徳川御三家の領地として着実な繁栄を築いてきました。
明治に入り、町村施行により岩出村、山崎村、根来村、上岩出村が設立し、明治41年には、岩出村が町制を施行し、岩出町となりました。さらに、昭和31年9月30日に岩出町、山崎村、根来村、上岩出村及び小倉村の一部(船戸、山崎)が合併して新制「岩出町」となりました。合併当時の人口は、13,261人でありましたが、その後、既成集落周辺での宅地開発やニュータウン開発などが進み、人口は騰勢を強めました。
平成18年4月1日には、住民の永年の念願であった市制を施行し、「岩出市」として、新たな時代の幕開けを迎えました。
今後は、新しい時代に柔軟に対応した和歌山県の新しいゲートウェイシティ(玄関都市)として魅力あるまちづくりを進めるとともに、紀北地域の中心都市として発展していくものと考えています。
位置・面積
岩出市は、和歌山県の北部に位置し、和歌山市の中心部から約15km、大阪都心部から約50km、関西国際空港からは約30kmの距離にあり、北は大阪府泉南市及び阪南市、東南は紀の川市、西は和歌山市に接しています。和歌山市や泉南地域、大阪都市圏への交通アクセスに恵まれており、大阪側から、また海外から関西国際空港を経て和歌山に至る玄関都市として位置づけられます。
市域は、東西に約5.7km、南北に約8.8km、面積は38.51平方キロメートルになります。東端は東経135度20分、西端は東経135度17分、南端は北緯34度14分、北端は北緯34度20分に位置します。
地勢
市の南半分は河成段丘の沖積平野を形成しており、市街地や田園地帯が広がり、南端には日本有数の大河「紀の川」が東西に流れています。北部は和泉山脈が東西に連なり、東に向かって標高を上げ、緑豊かな山並みを形成しています。そこに源を発する中小の河川は、段丘平野に横谷や扇状地を形成し、そのほとんどが紀の川に注いでいます。
気候は、瀬戸内気候区に類似し、降水量は年平均1,300~1,400mmと県下の他市町村に比べて少なく、平均気温は16~17℃前後と年間を通じて比較的緩やかです。
特産品
大都市に隣接するという立地特性を活かしてカーネーション、ストック、観葉植物などの花き栽培がさかんです。
カーネーション
岩出市は花の産地として知られています。特にカーネーション栽培は盛んで大阪など関西市場を中心に出荷しています。
ねごろ大唐
シシトウよりひとまわり大きいもので、味はシシトウとピーマンを足して割ったような味です。あまりからくないので消費者の方々より好評を頂いています。
市の花・木・鳥
市の花 さくら
市の木 うばめがし(ばべ)
市の鳥 うぐいす
市章
岩出の岩を図案化したもので、円形は岩出市民の「和」と「団結」を、両翼はまちの飛躍を表している。
市民憲章
私たちは緑の山と紀の川の清流に育まれた岩出市の市民であることに誇りをもち平和を重んじ豊かなまちをつくるためにこの憲章を定めます
一、自然を大切にしきれいなまちをつくりましょう
一、人を愛し助けあう笑顔のまちをつくりましょう
一、健やかで生きがいをもつ市民になりましょう
一、教養を高め歴史と文化を愛する市民になりましょう
一、産業を育成し活力あふれるまちづくりに努めましょう
市民歌
作詞 亀田 忠彦
作曲 北原 雄一
編曲 木村 吉宏
1 清き流れは 紀の川の
沃野(よくや)を抱(だ)いて たゆみなく
紀泉の峰は 緑なす
恵みに満ちし 愛の郷(さと)
ああ豊かなる 我が岩出
2 栄(は)えある歴史 はぐくみて
史蹟に偲(しの)ぶ 根来寺(ねごろじ)の
桜もみじも あやにしき
四季を彩(いろど)る 花の郷(さと)
ああ麗(うるわ)しき 我が岩出
3 ともに手をとり 人の和と
ひろき心を 培(つちか)いて
輝く未来を 築きゆく
あしたに伸びる 夢の郷(さと)
ああ栄えあれ 我が岩出
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